小売民俗学・流通考古学事始序
世に人あり、日々に暮らしを営む。
晴れの日あり、曇りの日あり、雨の日あり。
暑き日あり、寒き日あり、ひねもす穏やかなる日あり。
時の流れ、季節の巡りに合せて人々は生活を営む。
人々の日々の暮らしは、いつもどこかのお店の「棚」に映っている。
店というもの、ただモノを売る場にあらず、
店にはモノとモノがその人にもたらす体験価値が一緒に揃えられている。
たとえばお客は日々の食事のおかずを買いにお店にいく。
でもお客はそのおかずを食べて喜ぶ人の顔を思い浮かべながら買物をするのだ。
たとえばお客はビーチタオルとパラソルを買いにお店に行く。
でもお客は海で家族と過ごす楽しさを想像しながら買物をするのだ。
店(みせ)とは「見世(みせ)」なり。
世間の暮らし向き、暮らしぶりを映し出す鏡であり、
店主が人々の生計を支え、暮らしを彩るための工夫を凝らした世界観が映し出される「舞台」である。
あるときは、年の瀬に並ぶ黒豆と昆布巻きに人の「よろこぶ」の心を見、
またあるときは、節分のイワシと柊に禍をもたらさぬよう自然の「呪術」の力を感じとる。
あるときは、スーパーマーケットの調味料棚に、土地土地の味と記憶を嗅ぎとり、
またあるときはホームセンターの盆提灯売場に土地の神と祖霊供養の継承をみる。
そこには、人々が築き上げてきた生活の歴史がそっと息づいている。
見世=店は小さき宇宙(コスモス)であり、
地域の風土、季節のめぐり、信仰としきたり、生活の手触り――それらが整然と、あるいは雑然と、「世界」として並んでいる。
近くの作り手から仕入れた品もあれば、遠く万里の波濤を超えて届く品もある。
わが店のお客の顔を思い浮かべながら、よりよき品を揃え、値ごろ感をもって提供せんとする熱き念いと魂が棚をつくり、日々新しい売り方を開発し、店を育てる。
先賢曰く、店はお客のためにあり、お客とともに育つ。そして従業員とともに栄える。
店主がお客から離れ、従業員とともに歩まず、謙虚さを失い、学びを忘れたとき、店は滅びる。
商人は算用の術をもって、倹約に努め、小さき利益を積み上げる。
お客が利するを旨とし、人々の日々の暮らしを守り育てることこそが、商人の本義。
商人の工夫と努力によってお客が安心して安く買えるお店をつくることは、世の多くの家計を助ける。
人々は倹約できたお金を貯蓄、教育、旅行あるいは将来の投資に回すことができる。
よりよい品を安くの信念は、時の権力に迎合し富を誇る“政商”の道とは異なる。
常に市井に寄り添い、庶民の生活に根ざし、蓄えた富を世に循環させる「本商人」こそ、
この社会の根を支える「正義」である。
再び先賢は言う。たとえどんなにご政道が誤っても、出鱈目をやっても、商人は間違ってはならない。損得ではなく常に善悪で物事を判断せよ。それが「本商人」の矜持だと。
いま私は二つの方法で、商いの道と事績、歴史をまとめていきたい。
「小売民俗学」は、暮らしの詩学であり、
「流通考古学」は、歴史を紐解きながら現代社会の地層を読み解く術である。
これらは単なる研究ではなく、
商いの道をたどる「倫理と文化の再構築」の試みである。
この旅は、古今東西、人々の暮らしが積み上げてきた生活の歴史を探求する知の冒険である。
この小さな試みが、世の本商人を志す人々の「灯り」となればと思う。
マーチャントライツブックストア店主
流川 通
商業界精神に学び、古今東西の商業、交易の歴史を対象に、流通、小売の「構造知」「体系知」を研究、著述活動をおこなう。
とくに石門心学、江戸商家思想から戦後の日本型チェーンストアの生成過程に関心を持ち、併せて世界の流通企業の進化プロセスと構造知を詳らかにしていくことを目的として掲げ、
小売民俗学・流通考古学を立ち上げ、商業の深さ、面白さを伝えていくことをライフワークとしている。