(初出 月刊マーチャンダイジング)
混迷の時代に学びなおしたい商人の「徳」と「役割」
石田梅岩とは
1685年丹波国に生まれる。京都の商家に奉公後、45歳の時、京都にて「心学」講話を開始する。町民の「学問」志向が高まる中で儒教、仏教、神道、道教の要素を取り入れ、わかりやすい言葉で商人の道、日常生活における道徳の実践を説いた。
梅岩を祖とする「石門心学」はその後寺島堵庵、中沢道二などの優れた後継者に受け継がれ隆盛を誇った。
明治になり国家事業主体、近代産業発展とともに「商道徳」は一時衰退するも、その精神は連綿と生き続け戦後商業の勃興発展期には「昭和の石田梅岩」と呼ばれた倉本長治をはじめとする多くの優れた商業経営指導家の下、アメリカ的科学経営と商道徳を組み合わせた独自の理論体系の確立と実践によって多くの新興流通企業が誕生した。いまなお、梅岩の思想は現代商業経営に影響を与え続けている。
「都郵問答」とは
1739年(江戸中期)に刊行された「都邸問答」は石門心学の理論体系の根幹を成す聖典とされ、梅岩と弟子たちによって編まれた。
「都の人(梅岩)」と「田舎(邸)の人(弟子)」の対話形式で記述されており、巻のーから巻の四までの四部構成。今回の特集は石門心学のもっとも根本思想を示した「巻の一、二」より抜粋して解説を加えたものである。
原文を付けたので是非音読して味わって欲しい。
編集部註
本特集の原文は、「都鄭問答」(足立栗園校訂岩波文庫昭和10年初版)
に拠った。尚、読み下し、解説においては下記文献も参考とした。
●「石田梅岩」(柴田実吉川弘文館人物叢書)
●「都邸問答_経営の道と心ー」(由井常彦日経ピジネス人文庫)
●「公共する人間2 石田梅岩ー公共商道の志を実践した町人教育者一」(片岡 龍 金泰昌 編 東京大学出版会)
商人はなゼ「道」を学ばなければならないのか
曰く
扱商人は貪欲多く、毎々に貪ることを所作となす。夫に無欲の教えをなすは、描に鰹の番をさするに同じ。彼に学すすむ問を進るは、前後つまらぬことなり。其済まぬことを合点して教ゆる汝は曲者にあらずや。
商人は貪欲な者が多く、常にさらなる利益を追求するもの。それに対してあなたは商人に無欲であれと言う。これは猫に鰹節の番をさせるようなもので、商人に学問を教えることは意味のないことではないか。それを実践するあなたは間違っているのではないか。
答ふ
商人の道を知らざる者は、貪ることを勉めて家を亡ぼす商人の道を知れは、欲心を離れ仁心を
かなさか以て勉め道に合ふて栄中るを学問の徳とする。
商人の道を知らない者は、暴利を貪ることに励んで、いずれ家と身を亡ぼすでしょう。商人の道を学べば、欲心が離れ、仁徳が備わります。商人の道にかなった商売によって家が栄えることが学問の効用です。
曰く
然らは亮物に利をとらず、元金に売り渡すことを教ゆるや。習ふ者外には利を取らぬことを学び、内証にては利を取れは実の教えにあらすして、反って詐りを教ると云者なり。如何となれば元来ならぬことを強いるによりて、加様に前後合ざることあり。商人利欲なくして済むことは、終に聞かざることなリ。
では商品に利益をとらず、原価のままで売ることをあなたは教えるのか?学問をする者が利益をとらないことを学び、内証で利益をとることを奨めるのであれば、それは間述ったことを教えるものだ。本来できないことを教えることは辻棲が合わない。商人は営利の気持ちを持たなくて済むというのは聞いたことがない。
答ふ
詐りにあらず。詐りにあらざる子細を告ぐべし。是に君に仕る者あらん俸禄を受ずして仕る者有べきや。
間違いではありません。詳しく申し上げましょう。武士において主君に仕え俸禄を受けない者がいるでしょうか。
曰く
それは無筈のことなリ。孔子孟子といへども禄を受けざるは礼に非すとの玉う如何ぞ有べき。是は受る道に因て受るなり。受る道にて受るを欲心とはいはず。
それはありえない。孔子孟子のような型人君子でも俸禄を受けることは礼にかなっているという。どうしてこれは正当化されているのか。この場合は、受け取るのが自然の道理ということで「欲心」から受け取るということではないからということか。
答ふ
売利を得るは商人の道なり。元銀に売を道といふことを聞ず。
売利を欲と云て道にあらずといはば、先孔子の子貢を何とて御弟子にはなされ候や。
子貢は孔子の道を以て亮買の上に用ひられたリ。
子貢も売買の利無くは富ること有るべからず。商人の買利は士の禄に同じ。
買利なくは士の禄無くして事が如し。
取引上の利益を得ることは商人の道です。原価で売るこ
とは聞いたことがありません。売買上の利益を「欲心」から
というのなら、孔子はどうして子貢という商売に長けた弟子
などをとったのでしょうか。子貢も利益がなければ裕福では
ありませんでした。商人の利益は武士の俸禄と同じです。
解説
梅岩は商人が売買、取引の過程において得る「利益」を肯定するために「欲心」と「道理」という2つの言葉を使い分けていることに注意したい。また商人が道を学ぷことは、「欲心」による利益追求によって家を亡ぽさないために必要なのだと繰り返し説いている。梅岩が生きた時代は、8代将軍徳川吉宗の治世(享保)に重なる。その少し前の元禄期(5代綱吉)は旺盛な土建バブルによって急成長した政商(紀ノ国屋文左衛門、奈良屋茂左衛門など)も出現し、生産、加工、流通が整備されはじめ、消費文化も一気に高まった時代である。一方で元禄期および以降の治世は力を蓄えた商人が「大名貸し」を行っては大名の御取りつぷしの憂き目に遭い、没落していった商人も多かった。「大名貸し」は大名家に運転資金を貸し付けることで相場以上の金利をもたらしたが、梅岩はこれら欲心にかられ没落していった商人を数多く見てきたことであろう。梅岩と同じく、為政者の都合に振り回されない商売のあり方を追求した動きはほかにもあった。三井総本家三代目三井高房の手になる「町人考見禄」は時の権力に振り回されて没落していった商人の事例を集めたものである。同書もまた梅岩が生きた時代、すなわち享保の治世に成立している。
