「商業界」滅びるとも、「商業界精神」は死なず
戦後流通業界の理論的支えになった「商業界」の功績と終焉
2020年3月31日、未曽有の新型コロナウィルス禍が社会を覆うさなか、創業73年目、老舗と呼ばれた小売流通経営専門出版社、商業界が倒産した。
戦後の近代商業復興の理論的精神的支柱となった雑誌「商業界」、小売業が産業として発展する道筋を示したチェーンストア経営誌「販売革新」をはじめ、スーパーマーケット経営実務のバイブルといわれた「食品商業」、アパレルチェーン経営者から店頭の販売員まで親しまれた「ファッション販売」、新興勢力著しい飲食界にあってユニークな経営者を次々と発掘していった「飲食店経営」、業界最大勢力に成長したコンビニエンスストア経営に焦点を当てた「コンビニ」と、最盛期には月刊雑誌6誌を擁し、「ユニクロとしまむら」「イオンスタディ」「サミットスタディ」「雑貨MD」「惣菜の教科書」といった業界実務関係者に広く読まれた別冊群や教科書シリーズ、また業界の貴重な店舗データベースとなっていた『日本スーパー名鑑』や数々の名コンサルタントが書き下ろした単行本類など、これらを精力的に世に送り続けた業界を代表するメディアだったといっていいだろう。
そしてなによりも創業主幹である倉本長治が創始した「商業界ゼミナール」は、箱根の山に泊まりがけで参加するさながら商人道場的なスタイルを確立し、志高き商人たちの商店経営理論と計数実務習得にとどまらず、商人としての倫理観の陶とうや冶、互いに切磋琢磨しあうよき仲間との出会いの場として長きにわたって開催され、ダイエー中内功(旁は刀)、ヨークベニマル大高善雄、イオン岡田卓也といったカリスマ経営者たちが、新しい産業の主役たらんとして学ばんがため、箱根の山に登ったという。
そこには、当時アカデミズムにおいて気鋭の商業学者であった川崎進一、のちに日本唯一のチェーンストア産業研究団体ペガサスクラブを興す若き読売新聞記者渥美俊一の姿もあった。日本にチェーンストア企業志向を数多く誕生せしめた渥美俊一は、倉本長治を生涯の師と仰いだ。
小さな出版社ながら、社会の要請と負託に応え、世の商店主たちに「経営」と「商人」の在り方を説き、世界中から優れた実践例を集め、成功法則を抽出し一流のコンサルタント陣が解説。さらには隆盛を誇った小売業がなぜ顧客の支持を失い、滅び去ったのかを解き明かしてきた出版社が、自ら「倒産」という、企業のもっともみっともない形で終焉してしまったのは、なんとも皮肉であり、痛ましい。
ある商業界同友の企業経営者は、ぽつりとこうつぶやいた。
「商業界のどこかの本に書いてあったよ。お店というのは、不況や競合でつぶされるんじゃない。お店の内側からつぶれるんだと」
*商業界同友…商業界精神を尊び、理論の習得と実践を行うために全国各地で開催される勉強会に集う経営者を創業主幹倉本長治は「同友」と呼んだ。
「店は客のためにある」「商業界精神」とは何か?
本稿は、出版社「商業界」がなぜ倒産に至ったのかをテーマにするものではない。経営に失敗した出版社が世に出したメッセージはその伝統の光がまばゆいほどに、影も濃くなる。いったん負のイメージがついてしまえばどんなに優れたメッセージも信用を失い社会から厳しい評価を受けざるを得ない。
筆者はあえて、ここに「テクスト主義」をもって「商業界」が発したメッセージをあらためて取り出したい。
「テクスト主義」とは、フランスの思想家ロラン・バルトが提唱した概念で、簡単にいえば、言葉や文章について、それを発した作者の意図や背景から切り離して別個の「テクスト」(織りあげられたもの)として捉えることをいう。作者と切り離されたテクストは読者の状況に委ねられ、さまざまに発展的な意味を帯びるようになる。
大多数のテクストは一時的に消費されるものだが、優れたテクストは歴史の風雪に耐えて受け継がれ、現在の血肉、未来の羅針盤となっていく。それが古典と呼ばれるものだ。
「商業界」のメッセージはあまた読み手(商人)の解釈と実践で、普遍性を増し、社会的価値を提供してきたものと筆者は信じたい。
「商業界精神」とは何か? それをもっとも端的に示すものは、「店は客のためにあり 店員と共に栄え 店主と共に滅びる」、という倉本長治が唱えたテーゼ(商業界精神普及のための活動方針となる綱領)であろう。
前出の同友経営者は、「会社を起業したとき、会社や店は自分のものだとおもっていた。自分がお金を用意して、社員の給料を払っている、お客に商品を売り込むのも自分、自分が一番苦労しているわけだから、最初はこの言葉にとまどった。でもやはりその考えだとだんだんうまくいかなくなってきた。そのとき人に誘われてはじめて参加した商業界ゼミナールに当時ジャスコの社長だった岡田卓也さんがお見えになっていて分け隔てなく若い同友たちともさかんに商業界精神を語っておられた。あんな大きな会社になったのは、この考えがもとにあったのだ、とはじめて気が付いたんです」
このテーゼは、「顧客満足と従業員満足のどちらが欠けても店は繁盛しない。そしてどんなに大きな店となっても店主の判断、考え方、身持ちひとつで、一瞬にして信用は瓦解し、店はつぶれてしまう」という商いの王道を示すものであり、同時に商いに求められる峻厳かつ高潔な倫理観の大切さを説いている。
だからこそ、商人は、金勘定の技術論だけでなく、人間として一生学び続けなければならないし、道を誤らないようにともに学び合う仲間=同友が必要だと倉本長治は雑誌、書籍、ゼミナールを通して全国の商人に説き続けたのである。
このテーゼは、いまだに全国の商人たちに受け継がれている。ファーストリテイリングの柳井正会長兼社長が、かつて「販売革新」のインタビューの際、このテーゼの後半部分がとくに大切だとメモし、社内外へ発信、自らの戒めとしたのは有名なエピソードだ。
「損得」ではなく「善悪」「商売十訓」の意義
「店は客のためにある」の次に挙げられるのは「商売十訓」だろう。
これは倉本長治が古今東西の古典や聖典といわれる書物から商売にとって大切な思考、行動規範となる要素を取り出し対句の形式でまとめたものだ。
商業界ゼミナールで長きにわたって学んださる巨大流通グループのトップによれば、この十訓の素晴らしさは解釈や優先度が、企業の成長期や衰退期に直面する経営課題の都度、そしてその際の経営者の器量、成長によって変わるところにあるという。
ここでは、月刊「MD」の読者向けに、倉本長治を継いで「商売十訓」を発展的に解題してきた2代目主幹倉本初夫が雑誌「商業界」に時節に応じて書き連ねてきた基本解釈を翻案して簡単にまとめておこう。
①損得より先きに善悪を考えよ
商人にとって「損得」=利益を生み出すことが仕事そのものである。その仕事の前に「善悪」、つまり人間としてそれをやっていいのか、悪いのかを判断せよという意味である。儲かるのであればどんな手段でも構わないという考えは結果的に社会の害悪となり、自らも滅んでいく。人間として正しいことを行う商売こそ、人々に長く支持されていく。
②創意を尊びつつ良いことは真似よ
将棋や碁の世界に「定石」という言葉がある。先達が研究し、最善とされる一定の打ち方、指し方のことである。商売の世界も同様に、「定石」がある。商売を一定のレベルに持っていくのであれば「定石」の習得は欠かせない。
定石に加え、歴史を学び、経験が積み上がるうちに、自分の考えが付加されていく。武道や茶道などの「守破離」にも通じるだろう。最初から我流に固執するものは殻を破ることはできない。お客にとってよいとおもうことは、競合他社、または異業種からも貪欲に学ぶ姿勢が大切だ。しかしそこで終わってはいけない。
③お客に有利な商いを毎日続けよ
売り手の都合ではなく、お客の都合に合わせる。しかも毎日。昨日と今日と明日で商品の価格がころころ変わるようであれば、お客は困る。不信が募る。不景気で家計が苦しいときこそ、価格を下げる、代替品を見つける、あるいは買いやすい単位にする努力をする。品薄で皆が困っているときに価格をつり上げるのは商売としては下策だ。品薄が改善されたとき、いくら価格を下げてもお客はその店を見向きもしなくなるだろう。
皆が困っているときこそ、商人は知恵と工夫でお客に解決策を提案しなければならない。
④愛と真実で適正利潤を確保せよ
「利潤」を商人は否定してはならない。利潤は、花が咲いたあとの実、種のようなもので、その実、種があればこそ、翌年も素晴らしい花を咲かせて、人々を楽しませることができる。ただし「利潤」は適正でなければならない。少なすぎれば貧するし、多すぎればそれはお客が負担することになる。この加減は難しい。ゆえにお客への愛と真実、すなわち正直さ、誠実さが問われる。企業でいえば「透明性」「一貫性」が求められる。
⑤欠損は社会の為にも不善と悟れ
石門心学の祖石田梅ばいがん岩の『都鄙問答』(とひもんどう)に、鎌倉時代、ある商人が夜10銭を川に落として、50銭のたいまつを買って探させたという話が出てくる。これを聞いた人はほとんどがばかな話と一蹴した。なぜそんな無駄な金を使うのだと。
ところが梅岩は、彼こそが本当のお金の価値を知る商人と評価した。川に落ちた10銭は、社会に還元されないが50銭は還元される。商人は、金は6 2020.8 月刊マーチャンダイジング天下の回りものであり、1銭もおろそかにしないよう扱うべきという商人の社会的存在意義を明らかにしたのである。
⑥お互いに知恵と力を合せて働け
店はひとりの力で運営できるものではない。商品を仕入れる人がいて、あるいはつくる人がいて、それを運んで並べる人がいて、お客にその価値を伝える人がいる。お互いの役割を知り、自分たちの仕事がお客の喜びにつながることを理解し、その役立ちから得られる高揚感を皆で分かち合うことができれば、その店の雰囲気は自明である。
ただし、現状に満足してはならない。お客のニーズやウォンツというものは刻々と変化する。お客の変化に対応するためには、皆がアンテナを張り、お互いの知恵と力を出し合う場、環境をつくり出すことが大切だ。
⑦店の発展を社会の幸福と信ぜよ
個店でも、多数の店舗を展開するチェーン店でも、その地域のお客のお役立ちに貢献する目的は同じだ。前者はより深く、後者はより広く、それぞれのお客へアプローチできる。
とくに後者は、社会のインフラとしても機能する。人海戦術と揶揄されても、雇用の受け皿を提供し続けてきたのは、チェーン店である。
昨今の大災害において、組織的な物流と人力、店舗網を持つ成長チェーン店の営業努力は地域生活の命綱となり、多くの生活者の日常を支えた。文字どおり、店数が増えるということは、社会にとって安心を提供していることと同義なのである。
⑧公正で公平な社会活動をおこなえ
社会はひっくり返すと「会社」である。それぞれの会社はひとつの社会の縮図であり、そこには、公正で公平な評価と待遇制度が不可欠だ。不公正で、不公平な職場環境で、従業員満足は醸成されないし、組織が健全に機能するための規律も文化も生まれない。職場の悪環境は店舗に如実に表れる。従業員から笑顔が消え、商品は雑に置かれる、ごみも放置される。そこにはただの苦痛な「作業」だけが存在する。従業員の「作業」に魂を入れるためには、公正公平を旨とした企業文化が前提となる。
⑨文化のために経営を合理化せよ
合理化とは仕事のムダ、ムリ、ムラを無くしていくことだ。そのためには、仕組や制度をつくり、実行していくための作業訓練、人材教育が不可欠である。ただし経済環境、経営環境は変化していく。変化に合わせて業態(フォーマット)を開発し、それを支える技術(テクノロジー)の導入、仕組、道具、制度、教育の方法も変えていかなければならない。「文化」とは、物質的な豊かさを指す「文明」に対して人間の精神的な豊かさを指す。経営を合理化していくということが人間の精神的豊かさをすり減らすものではなく、醸成するものでなければならない。
⑩正しく生きる商人に誇りを持て
「商人」は、広義の意味で人類が他者と交易を開始したときから生まれたもっとも古い「職」のひとつであり、その発想と行動力は人類の発展史に大きな影響を与え続けてきた。
一方で、「商売人」という言葉は、狭義において利益を得るに聡い、俗ないい方をすればなんでも金勘定が先にある価値観にとらわれている者を揶揄して使うことが多い。ゆえに倉本長治は、商売十訓の筆頭に「損得」よりも「善悪」という言葉を置き、「商人」=正しい「商売」をする人、正しく「生きる」人、という定義付けを行ったのである。
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最後に「商売十訓」を社是とし、いまだ自身の拠り所として、日々社員とパートの皆さんにその大切さを説いている経営者のお一人の言葉を紹介して本稿を締めたい。
同友の一人であり月刊MD読者にもおなじみ、総菜弁当チェーン「むすんでひらいて」「イーティーズ」を展開するMHホールディングスの原田政照社長は、自分の仕事に「誇り」を持つことができるかどうか、その客観的バロメーターの設定は難しいとしながらも、「従業員のお子さんが親の仕事ぶりをみて、やってみたいな、あるいは、お子さんがわが社に就職して、よそさまから、いい会社に入ったわね、と言ってもらうことが一番の従業員の誇りであり、私自身の誇りになる。いい会社というのは、世間では安定していて福利厚生がよくて給与も高い大会社のことをいうのかもしれないけど、私はいい会社というのは『正しい商売』をしてお客さまに喜ばれ、それが世間さまに少し浸透して、従業員がそれを支えに長く働いてくれる会社だとおもう」
商売十訓
一、 損得より先きに善悪を考えよう
二、 創意を尊びつつ良いことは真似ろ
三、 お客に有利な商いを毎日続けよ
四、 愛と真実で適正利潤を確保せよ
五、 欠損は社会の為にも不善と悟れ
六、 お互いに知恵と力を合せて働け
七、 店の発展を社会の幸福と信ぜよ
八、 公正で公平な社会的活動を行え
九、 文化のために経営を合理化せよ
十、 正しく生きる商人に誇りを持て